『アメイジング・グレイス(英版)』を見れ!

奴隷貿易廃止に貢献したウィリアム・ウィルバーフォースの半生を描く。タイトルは、奴隷船の船長だったジョン・ニュートンが作詞した賛美歌「アメイジング・グレイス」から採られており、映画はニュートンがウィルバーフォースに与えた影響についても描いている。
2006年9月16日、トロント国際映画祭のクロージング作品として初上映され、イギリスとアメリカではイギリス議会が奴隷貿易を廃止してからおよそ200年にあたる2007年2月から3月にかけて公開された。

キャスト

  • ウィリアム・ウィルバーフォース - ヨアン・グリフィズ
  • バーバラ・スプーナー - ロモーラ・ガライ
  • ウィリアム・ピット - ベネディクト・カンバーバッチ
  • チャールズ・フォックス卿 - マイケル・ガンボン
  • バナスター・タールトン - キアラン・ハインズ
  • クラレンス公 - トビー・ジョーンズ
  • ジョン・ニュートン - アルバート・フィニー
  • トマス・クラークソン - ルーファス・シーウェル
  • オラウダ・エクィアノ(en:Olaudah Equiano) - ユッスー・ンドゥール

あらすじ

1797年、英国の政治家のウィリアム・ウィルバーフォース(ウィルバー)は、心身を病みソーントン家で療養する。彼は、長年に渡り奴隷廃止のための法案を議会に提出したが、未だ実現させることはできず、夢の中でも奴隷達が苦しむ姿にうなされる。失意のウィルバーは、体調を崩し、アヘンチンキを服用するようになっていた。 ソーントン夫妻は、ウィルバーに結婚を勧め、彼より18歳も若いバーバラと引き合わせる。二人は反発するが、やがて双方が同じ考えを持っていることを知る。ウィルバーは、廃止運動についてバーバラに語りはじめる――
約15年前、もともと奴隷制に好意を持っていなかったウィルバーは、友人のウィリアム・ピットの紹介で奴隷廃止主義者達と知り合う。ウィルバーは聖職者と政治家の道の間で迷っていたが、彼らに奴隷制の現実を見せられ、若き首相:ピットの側近として奴隷貿易廃止運動に取り組む。元奴隷のエクィアノの伝記はベストセラーになり、世論を動かし、数十万人の署名を集める。議会にも廃止派の議員はいた。しかし、世代間の対立、フランス革命やナポレオン戦争の影響もあり、廃止法案は議会を通過するどころか、売国的であるとして受け入れられなかったのだった。
――まる一夜をかけてバーバラと話し合った翌朝、ウィルバーは彼女との結婚を決意するとともに、再び政治家としてのやる気を取り戻した。かつての仲間と再会し、策略も交えつつ、廃止法案は現実味をおびてくる。

賛美歌「アメイジング・グレイス」について

ジョン・ニュートンの作詞による賛美歌である。特にアメリカで愛唱され、またバグパイプでも演奏される。"grace"とは「神の恵み」「恩寵」の意。

完成までの道のり

作詞者はジョン・ニュートン (John Newton)。作曲者は不詳。アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。
ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。母親は幼いジョンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ジョンが7歳の時に亡くなった。成長したジョンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に手を染め巨万の富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ジョンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機はやってきた。船長として任された船が嵐に遭い、非常に危険な状態に陥ったのである。今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。すると船は奇跡的に嵐を脱し、難を逃れたのである。彼はこの日をみずからの第二の誕生日と決めた。その後の6年間も、ジョンは奴隷を運び続けた。しかし彼の船に乗った奴隷への待遇は、動物以下の扱いではあったものの、当時の奴隷商としては飛躍的に改善されたという。
1755年、ジョンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の寄付を重ねて牧師となった。そして1772年、「アメイジング・グレイス」が生まれたのである[1]。この曲には、黒人奴隷貿易に関わったことに対する深い悔恨と、それにも関わらず赦しを与えた神の愛に対する感謝が込められているといわれている。
この曲のほかにも、彼はいくつかの賛美歌を遺している。